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日本人の米文化がアメリカの栄養改善によってパン文化へと変わった結果

米を主食としてきた日本の食卓が西洋化した理由

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「米なければ人なし、人なければ米なし、人をつくる親は米なり」
江戸時代中期の医者で思想家の安藤昌益の言葉です。このように日本人は昔から米を作り、米を食べ、米でからだを作ってきました。米は日本人にとって何よりも大切な食べ物なんです。

日本は古来稲が多く取れることから、「瑞穂の国」と呼ばれてきました。瑞穂とはみずみずしい稲穂のこと。この呼び名のとおり、日本はお米がたわわに実る日の本の国です。 ところが戦後、日本の食生活はよくないということで、食の欧米化が進み、パンや肉、乳製品などが食卓に上がるようになりました。

今の学校給食ではいろいろとおかずが出るそうだけど、当時はミルクとコッペパンだけ。甘いスキムミルクと大きなコッペパンがアルミの器に載せられて配られました。

アメリカは日本人の「栄養改善」を進めるために、小麦と脱脂粉乳を食料援助と称して日本に供給したといいます。食料援助というと聞こえはいいけれど、その頃アメリカでは小麦と脱脂粉乳が大量に余っていた。要はそれを処分したくて日本に送り込んだわけです。さらに、日本人がアメリカ人と同じような食生活をするようになれば、将来的にアメリカで農産物が余ったときに、日本に買ってもらえる。そんな下心があったんです。

食料不足でお腹をすかせていた日本人は、このミルクとパンを有り難く食べました。また「米を食うとパカになる」という根も葉もない噂が飛び交ったこともあって、日本人はだんだんとお米から離れていったんです。風評被害もいいところ。アメリカは日本人に米を食べさせないようにし、自国の農産物を日本に買ってもらう土壌作りをし、さらには、日本人が持っていた大和魂も抜き取ろうと考えたに違いない。ひどい話です。

そして戦後65年が過ぎ、日本人の食卓はすっかり西洋化してしまいました。パンを食べ、牛乳を飲み、肉を食べ、デザートを食べ、コーヒーを飲む。その一方で米の消費量は減少、田んぼは減反。日本の食糧自給率は最下位になりました。

「栄養改善」された日本人はどうなったかといえば、石を投げたら、がんや糖尿病、人工透析の人に当たるというくらい、病人であふれかえってしまいました。動脈硬化や高血圧の人が大勢いるかと思えば、低体温・低血圧・低血糖で体調が優れない人も多い。日本人の病気は天井知らず。これがアメリカのいう「栄養改善」の結果なのです。

ご飯をしっかり食べていた昔の人には、がんや糖尿病にかかる人などほとんどいませんでした。そして精神的にも体力的にも、今の日本人とは比べものにならないくらい元気でした。運動会で、男子は一俵の俵を担いで100メートル競走をしていたほどです。今の男性で一俵を軽々担げる人はほとんどいません。

担ぐどころか持ち上げる前に、ひいひい言いそうな、ひ弱な男ばかりになっているんじゃないか。 それくらい日本人は生命力や体力、精神力を失ってしまったということです。たかが食べ物、されど食べ物。口を通ったものが、結果となって病気として表われているのです



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